花粉症

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きしめん

 先週末、久々の休みを使って山の方へぶらりと旅へ出向いた。

 

 朝9時、新幹線のホームに立って都心を発つ。土曜日ともあってか、周りの乗客はたいてい家族連れかキャリーケースを引くサラリーマン。バックパッカーと思しき外人の姿も見られ、駅員が出来の悪い片言の英語で応対している。そんな状況を尻目に、私は席を求める長蛇の列に1人並ぶ。それにしても、来る列車来る列車みな一様に均質。愛称や停車駅は違えど、外見には差異を見いだせない。私が幼少期の頃は車種に応じて様々な形式が走り、そのそれぞれに個性が見えたものだが。列が動き出した。母親に手を引かれる男児の後ろをついて、車内に乗り込む。

 

 速達便に乗ったこともあってか、始発駅の時点ですでに満員。早めに並んでおいた自分自身の判断に感謝した。列車は動き出し、みるみるうちに速度を上げてゆく。窓の外の風景は徐々にビル群から住宅群、はてには田畑の海に変わる。ふと、急に腹が鳴りそうになる。そういえば、今朝は急いで家を発ったためまだ何も口にしていなかった。こんな時こそ車内販売の弁当を調達し、流れる車窓を眺めながらゆっくりと旅を楽しみたい。が、しかし。座席テーブルに貼られた掲示を見ると、指定席車両以外の車内販売は中止したとのこと。何たる怠惰か、サービス不良も甚だしい。仕方なく、目的地まで我慢しよう。ところで現在地はどのあたりだろうか。入口ドア上の電光掲示板が直近の通過駅を知らせるのを見て、自分の現在地がまだ目的地までだいぶ遠いことを知る。ああ、またかと思ってしまう。この県は見どころも何もない上に、非常に面積が広くいつも新幹線の時間を長く感じさせる。まったくもって不快なことだ。

 

 しかし空腹には埒が明かないので、とりあえず一服することに。クリーム色と緑のデザインの箱、それにライターを片手に席を立つ。昔は車内でも吸えたものだが、時代は嫌煙の流れ。ドアを出て、デッキ隅の小さな個室に追いやられるしかないのだ。いつもより強めに吸い込み、ふーっと煙を吐く。起きてからものを食べていないこともあってか、ひと口でだいぶクラクラと重みがきた。ともあれ、最後の辛味まで吸い終えると、非常に落ち着いて身も心もすっきりした。席に戻り、再び旅を愉しむことにしよう。

 

 席に戻ると、何やら先ほどの親子連れが騒ぎを起こしている。もう降りたいと駄々をこねる子供と、静かな口調と手ぶりでどうにかあやす母親。ここは公共の場、怒鳴ってでも黙らせるべきであろうが、それをしようともしない母親の教育に無性に腹が立った。私の幼少期は、デパートのおもちゃ売り場でめぼしいものを買ってほしくどれだけ泣き喚いても、両親はただ私をひっぱたいて言う事を聞かせるばかりであった。その気概が、今の親たちにはもう無い。

 

 悲鳴独唱に30分弱耐え、ようやく列車は目的地に近づいた。荷物を整え、デッキへと向かう。ホームに降り立つと、移動の早さからはさほど遠くに来たようには感じないものの、駅名標で自分が随分と移動したことを確認する。これもまた、旅の醍醐味であろう。だから私は心から旅が好きだ。空腹が限界に近づいていたため、ホームの立ち食いソバ屋に早足で向かい、この地区ならではの一品を頼む。350円。つるつるとノドをつたう食感が非常に心地よい。店員の不愛想さが多少鼻についたが、ひとまず空腹を満たしたことでさらなる歩みへの活力を得た。

 

 日の差す新幹線ホームから商業施設に閉ざされた在来線ホームへ降り、人波に沿って新たな列車を待ち、さらに郊外へと向かう。残念ながら着席はできなかったものの、バイパス沿いを快足で駆け抜ける車窓は都心では味わえない貴重なものだ。途中駅で降り、今度はローカル線に乗り換える。まだかまだかと真新しいホームで待ち構えた中、来たのは先ほど乗った車両とほぼ同じデザインの車両。ローカル線ともあって両数は短く、気動車タイプの車両だが、街の中心部を走る電車車両と何ら変わらない外見には驚いた。さらに驚いたのは内装だ。ローカル線といえばボックスシートから山や渓流を眺めるのが一番期待されるが、まさかのロングシート。利用者がいるかすらも怪しい、かのような過疎ローカル線に都心と変わらぬ内装を施すのは何と風情のないことか。最近の鉄道会社はまったくもって旅人の旅情を削ぎ、不動産開発や商業施設経営にばかり目が眩んでおり、運輸業者としての意義を忘れ切っている。対岸の車窓を正面から眺めた状態で列車は動き出し、ここからどんどん田舎へと向かう。

 

 始発駅を発って30分ほどで無人駅も多くなってきた。途中の小さな駅で、上下にジャージを着込んだ部活帰りと思しき中高生が一気に乗り込んでくる。つい先ほどまでほとんどが空いていた座席が一気に埋まり、みな昨日見たドラマの話や恋愛の話で盛り上がっている。甘酸っぱい爽やかな汗の匂いが単機の車内の中に立ち込め、ハリのよい腕や脚が青々しくも艶めかしさを持って、つい見とれてしまう。いずれ田舎を出るであろうこの子たちは今どれだけ勉強をしていて、どういう進路に進むか、牧歌的な田舎生活に慣れたこの子たちがどうやって都心の精神の中に調和できるかが気になったが、他人の人生に詮索するなど野暮なことはやめておこう。

 

 列車はさらに山深い領域へと進み、途中途中の駅で学生たちがそれぞれ降りてゆき、再び車内は閑散を取り戻す。だいぶ渓流の流れも激しくなってきたところで、列車は2面3線の駅へ滑り込んだ。時刻表を見ると、ここでは20分も停車時間として待たされるようだ。車内でずっと居座っていては埒が明かないので、ホームに降り立ってみた。新幹線以来の1本に火を付け、澄んだ空気と強烈な草の香りを同時に吸い込む。見渡す限り一面の緑。しかし、遠い丘のある一面だけ緑が欠け、代わりに紺色の無機質なパネルがこちらを眺めている。もはや我々はどこへ出向いても都会的資本主義の手からは逃れられないようだ。しかし、逆側を眺めると断崖絶壁の下からなだらかかつ激しい水音が聞こえて来る。それを不可視にする萌黄色の花と相まって、1つのフレームとして生きた風景を提供する。10分ほどすると、先に単線を先行する特急列車がやってきた。轟音を響かせ、煙を吐きながらジョイント音とともにこちらに近づいて来る。しかし、間近に感じるとさほどスピードは出ていないようだ。競争相手のいない速達列車は、自分が速達列車である大前提を忘れ去ってしまっているのだろう。3両編成のそれをやり過ごすと、私の列車は数分でまた歩みを進める。車内に戻り、再び席についた。